どうもです。
拓です。
この記事では『特別攻撃隊』、いわゆる『神風特攻隊』のお話をしてみようと思います。
特攻隊の勇姿は、決して美談で終わらせてはいけないし、悲劇的だと感じているだけでもいけません。
あなたは自分の勇気を何のために使いますか?
特攻隊員の真実
数年前に、鹿児島県の知覧にある特攻平和会館に行ったことがあります。
多くの特攻隊員の家族に宛てた遺書などが展示してあり胸に迫るものがありました。
特攻の話は多くの場合、美談として扱われます。
特攻隊員は、日本のため、あるいは家族のために自ら志願して特攻に臨んだと言われています。
しかし、現実は違います。
厳密には、志願したのではなく断る選択肢が無かった、というのが現実です。
当時の軍部における縦社会は凄まじく、特攻が嫌だという言論は許されませんでした。
本人の意思を確認する体裁を取っていたそうですが断る権限はなく特攻隊になるしかないというのが現実でした。
軍部の怠慢
『桜花(おうか)』という兵器をご存知でしょうか?
見た目は、チンチクリンな戦闘機なのですが、実は特攻に使う為の兵器でした。
決して空戦を行うための兵器ではなく、敵の空母や艦船に突っ込む為に開発された兵器です。
桜花に搭乗=戦死です。
言い換えるなら、特攻で人間を死なせるための兵器です。
こんなものが開発され、実戦投入されている時点で戦争末期の軍部や大本営、つまり日本の上層部は正気の沙汰ではありません。
桜花によって亡くなったアメリカ兵は129名。
一方、日本兵は438名とされています。
桜花の特攻により、アメリカ兵も無念の戦死を遂げました。
しかし、日本の方が被害が大きかったという現実。
凄惨な出来事は、これだけではありません。
インパール作戦では部隊の総指揮者が兵站を軽視し、万単位の一般兵が餓死、病死しました。
兵站(へいたん)とは武器や食料などの補給物資の輸送のことです。
『戦のプロは兵站を語り、素人は戦略を語る』という言葉が示すとおり、兵站はとても重要なものです。
しかし、兵站を軽んじた結果、何万もの兵士が戦死はなく飢えや病で亡くなったのです。
フィリピンでの特攻では、『諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する』などと言っていた司令官が、一般兵が特攻した後に敵前逃亡しました。
なお、この時の特攻兵は全員戦死しています。
ごく一例ではありますが、なにしろ多くの一般兵が上層部の指揮に従い、戦場に散りました。
そして、たくさんの兵を死なせた多くの上層部は、戦後ものうのうと生き延びています。
戦後、戦場での失敗を責任転嫁する者までいました。
開戦当初の首相であった東條英機はこんな発言をしたといいます。
『北條で勝ったから、次は東條だ!』
つまり、鎌倉時代に蒙古襲来を撃退した北条時宗にあやかって、東條も勝てる!などと言っているわけです。
こんなもの、理論的でもなければ精神論でも根性論でもない・・。
ふざけているのかと疑いたくなります。
もちろん東條にも素晴らしい部分はありました。
しかし、これが当時の日本のトップだったことも事実です。
もはや空いた口が塞がらないどころか一周回って口を開けることさえ出来ません。
こういった人たちが主導する中で多くの一般兵が戦死していきました。
その最たる例が特攻隊です。
勇気の方向
国のために散る覚悟で特攻した者もいたとは思います。
しかし、特攻を望まぬ者もいたことが当時の証言などで判明しています。
特攻を断れば軍法会議にかけられるような時代です。
意気地なしと揶揄されるような状況だったかもしれません。
特攻を断る権利など無かった当時の軍隊。
兵士たちを使い捨てる上層部に従わざるをえなかった当時の日本。
特攻で散ったパイロットたちには畏敬の念しかありません。
望む望まないに関わらず、特攻に赴いた勇気は称賛に値します。
しかし、その勇気は本当に特攻に使うべきだったのでしょうか。
特攻を断る勇気は必要なかったのでしょうか。
状況的に難しかったのは十分に理解できます。
しかし、もし特攻を望まない者たちの勇気が別の方向に向かっていたら・・・。
また違った結果になっていたかもしれません。
悲しまずに済んだ人たちも、たくさんいたに違いありません。
特攻で亡くなった方たちは間違いなく勇敢な男たちです。
ですが、彼らの死をただの美談で終わらせてはならないと思っています。
彼らの死から、あるいは当時の日本の状況から学ぶことはたくさんあります。
美談で終わらせてはいけない
現在、書店に行けば戦争について書かれた本がたくさんあります。
その中でも、特に保守系の本はほとんどアメリカや中国の非を指摘したものばかりです。
つまり、戦争の責任を、外側に向けているものばかりです。
もちろん、そういった要因もあるでしょう。
しかし、当時の日本は内側にも『無責任な軍の上層部』という致命的な病巣を抱えていたことは絶対に忘れてはいけないと思っています。
また、当時のマスコミも、苦しい戦況を隠し、事実を伝えず、民衆を煽りました。
マスコミでは『玉砕』という言葉がよく使われていたそうです。
『玉砕』と言うと、なんとなくカッコイイ響きに聞こえますが要は『死亡』ということです。
『一億玉砕』などという、いかにも勇敢なスローガンで民意を煽っていましたが、こんなのは言い換えれば『日本人全員が死ぬまで戦え』です。
こんな根性論が大和魂とでも言うのなら、そんなもの無い方がいい。
そして、事実を知らされないままマスコミに扇動され、戦意を高揚させた国民がいたことも間違いありません。
戦争の要因、敗因には外的要素もあったことは確かです。
しかし、日本の内側にも多くの問題があったことを忘れないでください。
この内側の問題の延長線上に特攻隊員たちの戦死があるのです。
まとめ
平時である現代、生死をかけることなんてそうそうありません。
ですが、多勢に無勢だったりあるいは、上司の判断に対しおかしいと感じたことを言えない環境と言うのは職場なんかではよくあると思います。
そんな時は、おかしいと感じたことを、やる勇気ではなく、おかしいと感じたことを、断る勇気が必要なことも決して少なくないはずです。
特攻隊のように戦死することはないにしろ、勇気の使いどころを間違えて最悪な状況にならないためにも・・・。
あなたの勇気を、あなたが向かいたい方向に使ってあげてください。
それが、先の大戦から、そして特攻で散った多くの英霊たちから学ぶ教訓なのかなと考えています。