お疲れ様です。拓です。
未来の自分はこうありたい!
そんな風に思う事ありますか?
きっと誰しも理想とする自分の姿があるんじゃないかなって思います。
では、そんな理想の自分になる為にはどうすればいいんだろう?
それは・・・
- 明確な『ビジョン』を持つ事。
- ビジョンに向かうための『ミッション』を実践していくこ事。
- ビジョンに向かう為の『導き手』の存在。
この3つが揃った時、自分が望む理想の未来へ進んでいく事が出来るんです。
そんな事例が、平安時代の宮廷生活にあったんです。
紫式部と藤原彰子
今からおよそ千年前の平安時代中頃(999年)。
時の天皇『一条天皇』に嫁いだ12歳の少女がいました。
その少女を『藤原彰子(ふじわらのしょうし)』と言います。
そして、この彰子の教育係に任命された女性こそ、源氏物語を書き上げた『紫式部(むらさきしきぶ)』
明確な『ビジョン』を持って『ミッション』をこなしていった藤原彰子。
そんな彰子が望む未来へ導いた紫式部。
この二人の関係の中にこそ、成功する為の3つの要素が隠されているんです。
彰子が思い描いた未来の向こう側・・
そこには、平安時代を象徴する、とっても煌びやかな貴族文化が待っていたのです。
彰子の置かれていた立場
では、彰子が理想とする未来とは何だったのでしょうか?
ちょっと歴史の話になりますが、ごく簡単に状況を把握してみましょう。
12歳で一条天皇に嫁いだ彰子でしたが、一条天皇は死別した前妻のことが忘れられずにいました。
さらに一条天皇は20歳前後の青年。
幼い彰子はまだまだ未熟な子供にしか見えません。
そんな彰子が理想とする未来、それは夫である一条天皇に愛されること。
そんな夢を思い描き、彰子はひとつの決心をします。
『漢詩を勉強しよう・・』
漢詩は当時の貴族にとって最も重要な教養であり、一条天皇も漢詩に精通した人物でした。
そんな一条天皇に振り向いてもらう為に絶対必要だった教養、それが漢詩です。
そこで彰子の教育係に大抜擢されたのが紫式部です。
当時、まだ執筆途中だった源氏物語でしたが、その知名度は高く、紫式部の名は教養人として世間に広まっていました。
そんな紫式部が、彰子が望む理想の未来へ導いていく事になるのです。
彰子のビジョンとミッション
一条天皇に愛される!
そんなビジョンを持ち、彰子は紫式部に漢詩の講義を依頼します。
この明確なビジョンを持っていたことが物凄く重要です。
ビジョン、つまりゴールが設定されたことで、そのゴールに向かい『漢詩を学ぶ』という課題(ミッション)も明確になりました。
ビジョンとミッションが合致したことで、彰子はひたすらゴールに向かって走り続けます。
一条天皇に振り向いてもらう為、紫式部の講義に素直に耳を傾け続けます。
しかし、この講義は紫式部が人目を気にして、夜な夜なこっそりと行っていたそうです。
つまり、講義に多くの時間が費やせたわけではなく、彰子は日々コツコツと少しずつ前進して行ったんです。
そんな彰子の姿に、一条天皇も徐々に心を開いていきます。
そして一条天皇に嫁いでから約9年後、ついに一条天皇の愛は彰子に注がれることとなります。
彰子懐妊です。
後の天皇となる子を授かった彰子は、一条天皇の正妻としての立場を確固たるものとし、その存在は国母として誰もが認めるものとなったのです。
性格や価値観が似ていた彰子と紫式部
紫式部の教えを素直に学んできた彰子。
実はこの二人、性格や価値観が物凄く似ています。
紫式部の日記には彰子についてこう書かれています。
彰子様は非常に奥ゆかしい性格で、人に気を使いすぎるところがあります。
そして一方の紫式部はどんな性格だったのか?
これも彼女自身の日記を読むと分かるのですが、とんでもない人見知りです。
陰気というか何というか、かなり人目を気にする性格です。
そんな性格が災いし、一時期宮廷から逃げ出して引きこもっています。
その記事はこちら
つまり、彰子も紫式部も引っ込み思案で、人付き合いが苦手な性格だったんです。
二人とも性格が似ていて、同じような価値観を持っています。
この同じ価値観が共有できたことは、彰子にとって物凄くプラスに働いたんじゃないでしょうか。
価値観が違う人から教えを受けても、共感は出来ませんし、下手をすると反発の可能性すらあります。
性格や価値観が近い紫式部から教えを受けられたことで、彰子は素直に講義を受け、漢詩を身に着けることが出来たんです。
それを物語る言葉が、紫式部の日記に書かれています。
講義を受ける中で、彰子が紫式部にかけた言葉です。
不思議なことに、あなたとは誰よりも仲良くなってしまいましたね
これはきっと彰子と紫式部の相性がよかったからこそ出た言葉なんじゃないかな・・・
僕はそう感じるんです。
その後の彰子と成功法則
最後に彰子のその後について触れておきます。
当初は一条天皇に見向きもされず、人見知りでとっても弱々しかった藤原彰子。
しかし後年、彰子の周囲には紫式部を始め、和泉式部(いずみしきぶ)、赤染衛門(あかぞめえもん)、伊勢大輔(いせのたいふ)、そして清少納言の娘 小馬命婦(こまのみょうぶ)といった、当時の宮廷女性を代表するそうそうたるメンバーが名を連ねることになります。
そんなメンバーに囲まれた彰子は、平安時代の貴族文化を形作る歴史の重要な1ページとして後世に語り継がれています。
最初は、小さくて弱くて人付き合いも苦手だった藤原彰子。
しかし、紫式部という導き手の教えに従い、理想の『ビジョン』を手に入れる為、コツコツと『ミッション』をこなしていったのです。
現在では、そんな彰子のことを『賢后』と呼びます。
そんな誇りある呼び名を勝ち得た彰子。
そこにあった、成功する為に大切なこと。
- 一条天皇に愛されるというビジョン
- 漢詩を学ぶと言うミッション
- 価値観の合う紫式部と言う導き手の存在
この3つこそが、成功を手にする秘訣である。
そんな真実を、藤原彰子と紫式部は現代人に語り掛けているのです。
理想の未来と価値観
あなたは今、思い描く夢はありますか?
もしあるのなら、その夢をゴールに変えて、自分がやるべき課題を明確にしてみませんか?
ビジョンとミッション
それが合致した時、夢は現実になる。
そして、価値観の合う人から教えを受ける。
決してすぐにたどり着けるゴールではないかもしれません。
日々コツコツ進んでいくことは絶対に必要です。
でもそれがゴールにたどり着く最短距離なんです。
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