京都グルコン初参加!足利尊氏に嫌われたけど清少納言に近づいた!

どうもです。拓です。

 

先日、ネットビジネスの先生である竹川さんと、京都でのグループコンサルに参加してきました。

 

僕をサポートしてくださっている千聖さんとも久しぶりにお会いでき、さらには関西方面のコンサルメンバーとの初交流もあり、大好きな歴史を満喫し、中国人との突然のデートも実現した、3日間の備忘録をお送りします。

 

 

京都でコンサル

京都に来るのは、6、7年ぶりくらいです。

前は、当時付き合っていた彼女と来て、銀閣寺に行きたいと言ったら、つまらないから金閣寺に行くと言われた思い出があります。

 

今回のコンサルでお会いするメンバーは、関西にお住まいなので、これまであまり交流の機会が無かった方たちです。

若干の緊張を感じつつも、徐々に集まってくる皆さんの会話を聞いていると、当たり前ですが、京都の言葉です。

 

『~してはる』

 

!!!

 

この時点で感動を覚えました。

 

コンサルの内容も、非常に参考に出来る部分が多く、不安に思う気持ちはみんな同じだな!と気づかせて頂いたり、歴史をテーマにしたブログで参考になる部分もあったり、これまで自分が作った車の模型なんかもメルカリで販売できるんじゃないかと思わせて頂いたりと、東京でのコンサルとは、また違った気付きをいっぱいいただきました。

 

今回の場合、単純に京都に行きたいというのが参加動機の半分を占めますが、やっぱり思い切って新しい環境に飛び込んでみると、新しい出会いや発見があり、行動の大切さを再確認できました。

 

今後のブログのヒントに出来そうなお話も、関西メンバーの方たちから次々と発言があり、良い刺激を受けることができた初日の京都グルコンでした。

 

 

銀閣寺と引きこもり将軍

前日のグループコンサルを終え、2日目はちょこっと観光地を散策しました。

 

最初に向かったのは銀閣寺。

以前、彼女に嫌がられて実現出来なかった、憧れの銀閣寺訪問です。

中学の修学旅行以来の訪問になります。

 

室町幕府八代将軍でありながら、優柔不断な性格で応仁の乱をこじらせた張本人『足利義政』が晩年に築いた引きこもり場所。

そして、現代日本人が持つ『わびさび』の価値観が生まれた場所。

 

引きこもり将軍 義政の父は、万人恐怖と呼ばれるほどの恐怖政治を行った六代将軍 足利義教(あしかが よしのり)。

しかし、義教はその恐怖政治が災いし、家臣によって暗殺(嘉吉の変)されてしまいます。

 

その後を継いだ長男は、わずか10歳で早世。

そして、次男は、関東を治めるために東国に下っていました。

 

このような背景の中、不意に将軍になってしまったのが、銀閣寺を建てた引きこもり将軍、三男坊の足利義政です。

 

多分、義政は将軍になんてなりたくなかったのではないかと感じます。

ちょっと高いところに上って、銀閣寺を眺めていると、そんな義政の心を感じることが出来ます。

 

よく比較される、三代将軍 足利義満の金閣寺。

ご存知の通り、金箔が施された絢爛豪華な建築物です。

 

義満は、日本史上、天皇権威に最も肉薄した人物であり、皇位簒奪を目論んでいたとも言われています。

そして、公家と武家、両方の重役も手に入れ、権威の絶頂に君臨した人物です。

大国である明との交流を重視し、権力欲をむき出しにしていた人物です。

足利の時代を『室町』と呼ぶのも、この人の邸宅(花の御所)が室町通りに面していたことに由来します。

さらに、初代尊氏からの懸案事項であった、皇室の分裂(南北朝時代)を終わらせた実力者でもあります。

しかし、義満は絶頂の最中で世を去ります。

一説には暗殺とも言われています。

 

 

権威に執着し、絢爛豪華に仕立て上げた義満の金閣寺。

南北朝時代という苦難の時代を終わらせた実力者 足利義満。

 

一方、いきなり将軍に成らざるを得なかった義政の地味な銀閣寺。

応仁の乱を何一つ解決出来なかったダメ将軍 足利義政。

 

 

将軍としては一つも評価出来ない義政が・・・

将軍になんてなりたくなかった義政が、最後の最後でたった一つ、この日本に残したもの。

 

それが『わびさび』という、日本人の心です。

 

将軍になってしまったことで、応仁の乱で散々な目に合い、奥さん(日野富子)の尻に敷かれつつも、最後は将軍と言う権威を捨て、自分の理想だけを詰め込んだ銀閣寺に引きこもってしまった結果、『わびさび』の文化が花開きました。

 

義政は、この理想の場所で、お茶をたて、好みの絵画や茶道具を眺め、ほのぼのとした晩年を送っていました。

その結果、生まれた『わびさび』を、現代人は『東山文化』と呼んでいます。

東山文化は、義政の理想の引きこもり場所が生んだ文化です。

義政が好きなことをやっていた中から生じた文化です。

そして、東山文化は日本の文化史を彩る1ページとして、現代日本にも息づいています。

 

 

銀閣寺は、応仁の乱で財政が逼迫した結果、銀に装飾出来なかったとも言われています。

でも、金閣寺のように外面を飾らなくとも、銀閣寺は確実に『銀』に彩られています。

 

『わびさび』とは質素なものに美を見出すこと。

銀閣寺の『銀』は、いぶし銀のように、その内側に銀色の輝きを秘めています。

 

義政が晩年に引きこもった銀閣寺から生じた『わびさび』のこころ。

そして内側に秘めた銀色の輝き。

 

そんな輝きを放つ銀閣寺には、権威からは得られない心の在り方、人生の豊さ、そして権力や出世ではないもうひとつの成功事例が隠されている。

 

ちょっと高いところに上って、木々に囲まれ、ひょっこりと頭だけを出し、ひっそりと佇む銀閣寺をぼーっと眺めながら、そんなことを考えいたのでした。

 

 

豊臣政権の崩壊と北政所の想い

続いて向かったのは、豊臣秀吉の奥さん『ねね(おね)』の隠居所です。

ねねは『北政所(きたのまんどころ)』という呼称が一般的ですので、以降はこちらで表記します。

 

豊臣秀吉と言えば、誰でも知っている戦国時代を終わらせ天下統一を成し遂げた人物。

素性も分からないような低い身分から出発し、天下人にまで上り詰めた日本史上屈指の出世頭です。

 

そして、秀吉の若かりし頃から、その出世街道を影で支えてきた女性が、北政所です。

 

しかし、北政所は秀吉の正妻ではありましたが、二人は子宝に恵まれませんでした。

秀吉の後を継いだ『秀頼(ひでより)』は、側室の『淀(よど)』の子供とされています。

 

戦国時代(もっと前も含め)とは、今よりもずっと『家』という概念が重要視されていた時代で、子孫を残して家を継がせることが最優先事項です。

だから、家を守れないような不甲斐ない主君は裏切られたりしますし、家の長である当主を巡って、親子や兄弟間で争いが起きます。

現代でも、この感覚はあるかもしれませんが、今よりもずっとずっと『家』が重要視されていたのが戦国時代です。

 

そんな戦国時代にあって、正妻でありながら秀吉の子が産めなかった北政所の心を考えていました。

ましてや、秀吉の最も近くで、その出世街道をずっと支えてきた正妻です。

さらに、秀吉と北政所は、当時は当たり前だった政略結婚ではありません。

周囲の反対を押し切って実現した恋愛結婚です。

 

そんな環境下で、天下人の子が産めず、側室が産んだ子が世継ぎになってしまった事実に対し、少なからず劣等感を持っていたのではないかと感じます。

 

そして、天下統一後の秀吉は性格が一変し、周囲に対し傍若無人な態度をとり始めます。

やがて、秀吉は世を去り、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康の時代がやってきます。

 

家康は、生き残った淀と秀頼の息の根を止める為、大阪城に攻め寄せます。

大阪冬の陣、夏の陣です。

 

この戦いにより、秀吉の権威の象徴であった大阪城は炎上、淀と秀頼は自害して果て、秀吉と北政所が築き上げた豊臣政権は完全に崩れ去りました。

 

北政所は、淀や徳川家康と決して不仲ではなかっとも言われています。

さらに、肝っ玉の据わったエピソードも多く残っているため、強い女性のイメージが先行します。

でも、北政所だって人間だし、その心の内には、やはり劣等感や悲しみがあったのではないかと思えてなりません。

 

 

大恋愛の末に結ばれ、ともに歩んできた秀吉の覇道。

しかし、天下を取ったことで権威に溺れ、性格が変わってしまった秀吉。

子宝に恵まれず、側室の子供が後を継いでしまった現実。

そして、側室とその子供の代になり、あっけなく崩れ去った秀吉の威光と豊臣政権。

 

 

この現実を、北政所は隠居所でどのような想いで捉えていたんだろうか・・・?

そんなことを考え、猛暑の中を吹き抜ける爽やかな風を感じながら庭園を眺めていました。

 

その時、落ち着いた風とともに、木々の葉がササァっと柔らかい音を奏でていました。

この心地よい音が、北政所の晩年の心を物語っているように感じました。

 

『私は大好きだった秀吉とともに激動の時代を生き抜き、そして多くの悲しみと劣等感を抱いていたけれど、最後はこの場所でようやく世間の喧騒から解放され、静かで穏やかな晩年を送っていましたよ』

 

吹き抜けた風の音が、北政所からのお返事のように感じられた一瞬でした。

 

 

ほのぼの月曜日に中国人と朝デート

その後、ご飯を食べたりしながら竹川さんや千聖さんとお話していたらいい時間になってしまい、そろそろ帰ろうか・・という感じになったのですが、帰るのが面倒になったので、もう1泊してしまおう!という気分になり、サラっと言ってみたところ、あっという間に2泊3日へと変更になりました。

 

普通だったら月曜は仕事だから、何が何でも帰らなければいけなくなるところ。

まさかの日曜~月曜の連泊でしたが、これも会社に依存せず働いていることの恩恵!

 

急遽宿をとり、もう一泊した翌朝。

 

ホテルの外を一人でウロウロしていると、やや片言で20歳くらい?の中国人女性が僕に話しかけてきました。

道に迷ったらしく、目的地の場所を教えて欲しいとのことでした。

 

しかし、僕も地元の人間ではないので、全然分かりません。

目的の場所を教えてもらい、僕がGoogleマップで調べ、目的地まで一緒に歩いていくことに!

 

突然の国際交流を経て、10分くらいで目的地まで辿り着き無事送り届けることが出来ました。

 

その結果、竹川さんとの待ち合わせに遅れたのでした・・・。

 

 

逃走!清少納言

その後、午前中は喫茶店でのんびりし、午後は室町幕府初代将軍 足利尊氏の墓所と、足利歴代将軍の木像が安置されている『等持院(とうじいん)』に向かいます。

 

バスを降りて徒歩で等持院に向かっていると、あることに気づきました。

 

どうやら、この時歩いていた道は『一条通り』

 

清少納言の枕草子に『五月の御精進のほど(さつきのみさうじのほど)』というお話が載っています。

友人たちとホトトギスの鳴き声を聞きに行った清少納言が、その帰り道、藤原公信にイタズラを仕掛けた舞台が、この一条通りです。

 

藤原公信の邸宅前に、乗っていた牛車を寄せて家主を呼び出した清少納言。

家でリラックスしていた公信は慌てて正装に着替えるも、待ちきれなくなった清少納言が牛車を出発させてしまったため、着替えの途中で家を飛び出し牛車を走って追いかけてきます。

 

追いかけてくる公信を見た清少納言は大爆笑しながら牛車のスピードを上げさせ、それを中途半端な衣装のままで帯を締めながら猛追してくる藤原公信。

この滑稽な追いかけっこの舞台が『一条通り』でした。

 

枕草子は清少納言の自慢話で彩られた嫌味な古典というイメージが先行しがちです。

しかし、このエピソードは、清少納言が決して高飛車なだけの女性ではなく、茶目っ気というか子供心を持った女性であったことが分かるお話です。(ちょいと意地悪な感じもしますが・・)

 

今回歩いた場所が、この逃走劇が行われた範囲かは分かりません。

でも、『五月の御精進のほど』は枕草子の中でも五本の指に入る好きなお話なので、その舞台の一端を感じられたことは、僕にとっても感慨深いものでした。

 

結局、牛車は一条通りの終着点まで行ってしまい、公信は追いつくことに成功しますが、直後に大雨が降りだした為、びしょ濡れになりながらトボトボと歩いて帰って行くことになるのですが・・・

 

 

ヘソを曲げた足利尊氏

そんな感じで清少納言に想いを馳せながら歩いていると、目的地である等持院に到着しました。

 

日本の歴史に大きな足跡を残した足利将軍家。

その初代である躁鬱将軍 足利尊氏の菩提寺である等持院。

 

ここには、初代尊氏はもちろん、ここまでに登場した銀閣寺の義政、金閣寺の義満に、恐怖政治の義教の木造も安置されています。

室町時代の全てを詰め込んだような等持院には、いつか行きたいと思っていたので、その願いがようやく叶う時がやってきました。

 

清少納言の追いかけっこの舞台、一条通りを逸れ、細い道を進んでいくと、いよいよ等持院が目の前に現れました。

 

が・・・・・

 

一部を修復中との看板があり、歴代将軍の木像が見学できないという事態に・・。

 

尊氏公にそっぽを向かれてしまい、仕方なく等持院を後にし、京都駅に向かっている途中、突然の大豪雨。

急遽、道端の軒先で雨宿りしていると、見知らぬオレンジ色のTシャツの青年も駆け込んできて、しばし談笑。

 

しかし、一向に降りやまないので、雨の中を歩くことにしました。

オレンジ色のTシャツの青年に別れを告げ、雨の中を歩いて行く自分の姿を想像していたら、あることを思いました。

 

足利将軍家を追いかけて赴いた等持院でしたが、足利尊氏には逃げられてしまった・・・、なんか今の自分は、清少納言に逃げられて、雨の中を歩いて帰っていった藤原公信と同じような状態だ・・。

 

今、自分が歩いている場所からそう遠くない道を、公信も雨の中歩いていったのかと思うと、枕草子の一場面を自分が演じているようで、清少納言との距離が少し縮まったようにも感じました。

 

 

まとめ

以上、京都での3日間でした。

 

関西方面のみなさんとの交流、足利将軍家、秀吉と北政所、枕草子、そして突然の国際交流、会社に依存しない生活を実感したまさかの連泊・・・。

千聖さんのお子さんも抱っこ出来たし、歩き回っていい運動にもなったし・・・。

最後の目的には失敗したものの、清少納言に近づくことが出来たし・・・。

 

想像以上に濃い2泊3日の京都コンサルだったのでした。

 

 

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